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やらなきゃいけないことがたくさんあるのに、昨日の夜10時ごろから、友人と話し込んでしまった。 彼が「~~~。資本主義は、あまりにも合理主義的で問題だ。」ここまではおとなしくきいていたのだが、「高齢者福祉施設がさいたる例だ」とのたまわれうえ、「君の家族で福祉施設に入っている人はいるか?」と問い「祖母が入っている」と答えたら、「チッ」と舌打ちをなさったのでそこで一気に大ブレイク、つまり僕はキレテシマッタ。 彼は話を続けて「親を施設にいれるなんて言語道断だ。もし私だったらぜったいに親をそんなところにいれたりしない。親は、赤ん坊だった私を施設にいれたりしなかった。わたしもそんなことはしない」などとおっしゃった。なぜそういえる?数十年にわたって介護に縛り付けられたことがあるのか?いつ終わるとも知れない肉体的、精神的苦痛に本当に耐えられると思うのか?途上国と違って先進国では動けなく、また惚けてしまったい人でも数十年でも「生かされる」のだ。彼の話は理屈が通っているかもしれない。たしかに彼の言い分には一理も二理もあるが、舌打ちされる覚えはないので「我が国ではみな好きで福祉施設に親をぶち込んでいるわではない。父は働きに出ており、母は一人で動けない祖母の世話をしていた。三食、下の世話。どれも大変で、週末には親戚もきて、排泄物で汚れたものを洗濯したり、畳を消毒したりしていた。救急車を呼ぶこと度々。ケアするほうの心臓にもよくない。そして、もし病院以外で家族が死ぬと、刑法上いろいろと面倒なことがある」などと話した。彼の話には説得的なところ(or当たり前、常識的)があるのだが、。彼は、「怒らないで聞いて欲しい。君の家族と言う特殊な例を槍玉に挙げているわけではないし、日本という国の国民を非難しているわけでもない。これは科学的な議論なのだ」と。僕は「科学的な議論であっても、不快感を感じる人がいることを覚えておいて欲しい」例えば「もしアメリカの一部のマイノリティは概して学歴も低く、犯罪率も高い。そのマイノリティがその理由を科学的に説明されて憤りを感じないかと言えば、そうではないだろう」、「それに君は科学的と言いながら、会話の冒頭で価値判断を言っていたぞ。だから君の議論が科学的で客観的だと思えないのだ」と僕は言った。彼は僕を遮りながら「その例は不適切だ。私は社会学の話をしている。君は社会学を研究したことがないだろう。社会学的な例を出してくれ。その例は不適切なのだ」と。そして、「僕はこの話を複数のアメリカ人に話したが、皆僕に同意してくれた。そして僕に感謝していた。『そうだ親を大事にすべきなんだ。いいアドバイスをありがとう』と。」いいたいことはたくさんあったのだが、すでに十二時過ぎ。切り上げた。 しかしなんですな。平常心を失うと、議論で負けている気がしなくても全体として負けたような気になってしまいますな。日本では議論でどんなに熱くなっても、平常心を失うことはなかったと記憶しているのだが、うーん。今は、精神的に不安定なのか?それとも繊細な部分に触れられたからか?愛国心が強いのか?うーん。有益とは思えない議論だった。
by sonomama1
| 2004-10-17 09:06
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